SSブログ

ホテルローヤル [思い出]

直木賞の発表のニュースで、釧路の話を書いた女流作家がインタビューを受けていた。
文学には疎いが、原田康子さんの「挽歌」を思い出し読んでみる事にした。

s40041q9RekpLpL._SS400_.jpg



父の転勤で幼稚園から中2の1学期まで釧路で育った。(1954?ー1963)
まだ子供で何も分からなかったが、当時、原田康子さんの「挽歌」がベストセラーになったようだった。
母が新釧路川の第2水門だか第4水門だかまでハイキングしようと、子供達とおにぎりやパンを持って出かけた記憶がある。
学校の遠足でも、同じ辺りへ行くのだが、どんなに注意を受けていても必ず湿原にハマる生徒がいたものだった。

長じて、高校の文学少女の友人に勧められ「挽歌」を読んだ。
人の気持ちに鈍い私が随分背伸びしていた。

その後、1970年、1977年。2010年に釧路を再訪している。
私にとっては自分の基礎が作られた大切な思い出の土地だ。
そんなこんなの色々な想いが吹き出して来た。

7本の短編からなるストーリー自体は上手に書けているようだが、いかにもありそうだった。
しかし、書き出しの文「四月、路肩の緑が芽吹き始めた。」から頭の中はよみがえり出す。
そうそう、昔は舗装道路が少なく雪解けでぬかるんだ泥んこ道をゴム長はいて登校したっけ。
馬橇、馬糞、、、
「ジェーン・エア」も「挽歌」も書き出しの文で引き込まれた?

本から離れて妄想が次々膨らむ。

釧路らしい言葉にも出会い、懐かしかった。
あたる(もらえる)
出面取り(日払いの肉体労働)
等々
ゴミをなげる(捨てる)とか あずましくない(落ち着かない?)なんてあったし。
色々な人達を思い出す。

大人になって思い起こせば、さまざまな事に合点が行く。
「ヤスダの森のベコの糞、夕べは暗くて踏んじゃった〜」は麦畑の歌だったかもしれないし、幼稚園の先生の事や、九州から転勤したのに女が追っかけて来た人や、ラーメン屋の駆け落ち話等々。

ラブホテルのロケーションのせいか、東京で暮らしてると忘れてしまっていた「まちはずれ」の感覚を思い出した。
私は釧路のまちはずれに暮らしていた。
校庭から先阿寒の山までずっと湿原、国道も大楽毛までノンストップ!
「ルート66」とか「遠くへ行きたい」とか流行った。
ホテルローヤルは多分釧網線沿いのまちはずれにあるはず。

内地はすべての土地が管理されているが、北海道には何も使われていない空き地が多くある。
垣根や塀が少ない。etc,,,

妄想ばかりが膨らみ、ストーリーは上の空。
「星を見ていた」が同年代のせいか身につまされた。
同級生の一人であっても不思議ではないかもと思った。

夏の数日、次々と想い出サーフィンにはまった。
思えば長く生きたものだ。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0