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ソウル行 [旅]

今年も、秋のソウルへ娘と孫に連れて行ってもらった。

お宿は弘大のK-POP好きが多い民宿ZZZIP-Guesthouseで、女主人のジナさんが娘と同年代で、お子供さん2人は保育園へ通っていた。

今回の旅では、世界遺産の水原華城へ行ってみようと思っていた。
鎌倉へ行くのに東京駅まで出ないで横浜から横須賀線をつかまえるように、最寄の合井駅から新道林へ出て、たくさんの親切なソウル市民に助けてもらって、水原行きに乗れた。
お忙しい時間に、皆さん、ありがとうございました。
何しろ、ハングルは読めず、音も分からず、スマホのgoogle翻訳だけが頼りという強心臓なのだ。
セマウル号にも乗ってみたいが、次回以降のお楽しみ!

水原へは道中の車窓景色は、横須賀線で鎌倉というより、京成線で成田山へ行く感じだった。
立派で大きな水原駅からタクシーで水原華城へ向かった。
正祖イ・サンが造ったお城で南北に八達門と長安門があり城壁がぐるっと巡っていた。

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西側は、天然の地形を利用している。

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柿食えば 鐘が鳴るなり 水原華城
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18世紀の終わり頃に作られた華城だが、日本ではその頃にはすっかり落ち着いて山城の形式は取っていないはず。
二条城には厩もないと聞く、駕籠や徒歩が通常の移動手段の都市生活だったようだ。

常に清(中国)と国境を接してきた朝鮮では、華城や江華島など首都機能を移転できる場所を用意しておく必要があったようだ。
日本に比べ、中国との付き合い方はやはり一日の長がありそうだ。

長い李氏朝鮮時代だが、ハングルを作った世宗大帝と正祖イ・サンが良くドラマになっている。
日本でも、時代劇の大河ドラマは戦国時代か明治維新ものが多い。

イ・サン王様はいろんな役者さんが演っているが、いずれも誠を尽くし勉強家で国を大切に考える立派な人物の聖君であったようだ。
昌徳宮の秘苑の「宙合楼」の扁額の文字からも真面目な人柄が偲ばれた事を思い出した。
TSUTAYAでレンタルした「王の涙」のヒョンビンが一面だけであるが、らしくて好きだ。
日本では、太閤記の秀吉役者は出世し、信長役者がかっこ良すぎる。
どんなに超人的にかっこ良くても、最後に滅びる事で全てのつじつまを合わせてしまう。

閑話休題
日本も朝鮮も中国に比べると、スケールが小さい。
それぞれに、懸命に作ってきた歴史ではあるが、やはり空間的な広がりの大きさ、漢字を始め文化の歴史など中国への興味は尽きない。



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