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紙と文字 [旅]

弘大という街は、面白いところだった。

「駐車場通り」という廃線の跡地を見た限りでは
朝は人が少なく、夕方から夜には若い人達がどっと繰り出している。
子供と高齢者の姿は見えない。
アートな街らしい。

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このビルには、デザインされた雑貨を扱うお店が入っていた。

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屋台の食べ物屋さんからビルの店舗のファションや靴屋さんなど原宿?のような感じ。
近くの大学の隣にラジオの放送局があり、ここはそのスタジオらしい。

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本屋さんもあちらこちらにあり、BookCafeと書いてある喫茶店ももっと見かけた。
昨秋サンフランシスコでは、「アマゾンにやられちゃって書店がほとんどなくなってしまった」とドライバーさんが言っていた。
しかし、帰りの機内で隣の席にいらした女史は、新聞・ペーパーバック本をモーレツに読んでいらした。
友人のお土産に頂いた韓紙の袋だが、この地ではまだまだ紙媒体に文字を載せる文化がしっかり続いていそうだ。
文学青年や文学少女がいるに違いない。
東京は、サンフランシスコに少し似ていてタブレットで本を読んだりする人も、紙媒体で読む人もいる。

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韓紙や筆・墨・硯などを扱うお店が多い仁寺洞で見たお面色々。

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最近評判が良くないが、紙に文字を書く文化と同様に歴史的に多くの文化がこの地を通って日本へもたらされて来た。面白くリスペクトが湧く。
博物館で陶磁器を見て過ごした時間も自分の狭い頭の中の古今東西を一瞬駆け巡り、紙と文字もチラッと考えられた。
これが旅の醍醐味でしょうか。


静かな秋の午後 [旅]

8月高山茶会、9月ナイアガラ&ニューヨーク、10月ソウルと遊び回りやっと日常生活に戻ってきた。

少しずつ、記して行こう。

10月下旬、娘がソウルへ連れて行ってくれた。
孫と、娘の同僚二人と、5人の女子旅となった。

弘大に泊まった、これが面白い街だった。
夜は弘大で過ごし、昼間は明洞や南大門や三清洞や東大門へ出かけた。

広蔵市場で昼食を色々食べた後で暇を貰い、一人で国立中央博物館へ向かった。
何年か前、新しく建築しオープンした事を知り、青磁・白磁などを見たいと思っていた。
これだけの公の敷地が残っているという事は、基地だった?

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平常展示館は入場無料だった。
子供が学習するエリアもあり、小学生から高校生まで団体で見学者があった。
幸運にも「朝鮮靑花:その藍に染まる」という染付けの企画展もやっていた。
官窯から時代が下って人々の雑器なども展示してあり堪能した。
アムステルダムで見た東インド会社のボトルが並んでいてもおかしくないかもと思われた。

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高麗から朝鮮への粉引、刷毛目、象嵌、粉青沙器、青磁、白磁と面白く焼き物を楽しんだ。
子供の頃、母に連れて行ってもらった肥後高田焼、鹿児島の薩摩焼、有田、伊万里、、、ここから渡っていったものだ。
焼き物ではないが、通潤橋を作った石工もこの地からだったはず。

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聞こえるのはわからない言語、私には全くの静寂の中、歴史と文化の交流を思いながら、
一人ゆっくりと過ごした。贅沢な午後だった。

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さあ、巻き戻して時系列で遅まきながら記事をアップして行こう。


富山行 [旅]

お茶会があるので、富山へ出かけた。

朝一の羽田から、快晴で富士山を始めとする山並みがよく見えて楽しい飛行だった。
劔、立山が富山平野の先に白く光っていた。

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茶会のあと、「世界で一番美しいスタバ」で、アイスコーヒーを頂いた。
運河沿いで素敵なお店だった。
全国的に暑い日で、しばしくつろいだ。

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この数年、福井・石川・富山・島根と出かけるようになり、かの地の実力がスゴイなーと感じる。
人の住む歴史が長く、富と教養の蓄積が素晴らしい!
皆さん、賢く頭が良いし、お金持ちのようだし、余裕を持って上手に暮らしを楽しんでいるように見える。

チョット歴史をかじったせいか? 美味しいだけではなく、日本って面白い、日本人って面白い、と再認識!

松江 [旅]

松江では、炬燵舟に乗って堀川めぐりを楽しんだ。
松江城の大手門で途中下船し、お城の見学をした。

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ちょうど桜も満開で花祭りが開かれていた。
お茶では「不昧公好み」とよく聞くが、お抹茶が日常の暮らしの中にあるようだった。

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天守閣に登った後、降りて行くと小泉八雲が散歩したというお稲荷さんも花の盛りだった。
そのまま八雲旧宅を見学し、鴨南そばを頂き、再び大手門から舟で回った。
八代市を思い出す懐かしい風情の町だった。

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島根県は全体で人口が70万人くらいというが、
船頭さんや売店の人達は、男性も女性も年配の方が多く仕事をしていらした。
ゆっくり丁寧にキチンとガイドして下さる。
誇りを持って故郷を愛している。
観光客をシニアの力でもてなし、日本の将来のモデルがここにあるかと思えた。
若い方達もしっかり教育されていて、都会のようにアルバイトなので詳しい話は誰かに聞かなくては分からないなどといった事も無く責任感が感じられる仕事ぶりだった。

出雲には大和政権に拮抗する勢力があったらしいが、益々興味がわく。


出雲へ [旅]

春の修学旅行は、昨年遷宮があった伊勢神宮と出雲大社の2社参りを妹が企画してくれたが、ポイントを絞って「出雲大社」へ縁結びをお願いするミッションにしてもらった。

行きは「サンライズ出雲」の寝台車だった。
昔は3段のB寝台?だったが、2人用個室寝台だった。上段からは寝ながら星が見えた。
加古川で明るくなり、御着、姫路と黒田官兵衛のテリトリーは霜の降りた里山の中腹に霧がかかっていた。

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岡山で「サンライズ瀬戸」と切り離し、伯備線で高梁川沿いに中国山地を越える。新見を過ぎ峠を越えると大山が見えた。

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終点の出雲市駅で下車し、出雲大社へお参りに向かう。
途中に旧JR大社駅舎があった。
矢絣に袴のハイカラさんでも出て来そうだった。

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遠山桜も良い

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木の鳥居をくぐって松の参道を歩く、桜もありちょうど満開だった。

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銅の鳥居をくぐり大しめ縄にビックリ!

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神様のいらっしゃるお社と拝殿

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昔はもっと高い建築だったお社の柱跡

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415円のお賽銭で、良いご縁を頂けます様、頂いたご縁が良いご縁となります様、お参りした。

日本海から裏山を越えて吹き下りる風が少し湿り気を帯びてひんやりと心地良かった。

可愛い一畑電鉄に乗って宍道湖の北側を通り松江へ移動した。

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宍道湖の夕日は風が強かった。

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続く

小田原 [旅]

週末が雪だったりしてようやく小田原へ出かけられた。
妹が付き合ってくれた。
御殿場線に乗って曽我梅林へ行ってみたが、梅林の梅祭りは既に終了していた。
枝垂れが花盛り、富士山は見えず箱根の山が背景となっていた。
梅干しのお土産を購入した。

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バスで小田原へ出て、小田原城を目指した。
蒲鉾や干物などのお土産品に気を取られ、道を間違えるオバサン二人。
中々立派なお堀と城趾公園、天守閣を目指す。
秀吉の小田原攻めの解説看板が立っていた。
桜の時期は良さそうだ。

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天守閣からは、360° 見渡せた。
山側は箱根から丹沢方面、海側は相模湾三浦半島と房総半島がちょっと区別できず、大島の島影、伊豆方面は真鶴もよく見えた。
小田原攻めは、ぐるり囲まれての戦だった。
あの山、この山から飯炊きの煙が上り、人が動く様が見て取れた事だろう。
それにしても、往事の機動力に感心する。

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風は冷たかったが、日差しが明るく、気持ちの良い街だった。
歴史があり、美味しいものがあり、明るい街に、若者の物語などを想像できた。

久しぶりの遠足で楽しい一日だった。

シリコンバレー&グランドキャニオン(おまけ) [旅]

この旅は、iPhoneと通信機能など付いていない数年前のモデルのコンパクトデジカメだけを持って行った。
iPhoneは、機内モードにしてWi-FiはONの状態で使った。

機内は、エコノミーの安い席だったのでWi-Fiは有料(1000円くらい)だった。
機内からメールしても何事だ!と迷惑するだけ?といたずらはやめておいた。

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空港は、サンフランシスコもラスベガスもロスアンジェルスも無料Wi-Fiがスムーズに使えた。
さらに、電源のコンセントも沢山完備されていた。
待っている間に充電する人も、充電しながら使う人も、良く見かけた。

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ホテルは、サンフランシスコでは無料Wi-Fiが使えたが、ラスベガスでは、有料で1日1000円くらいだった。
憂き世を離れて、非日常の人工の街に人を集めてお金を使って楽しませる所なので、さもありなんと思い、私も憂き世を離れた。

連絡はメールでと家族にも話しておいたので、無料のWi-Fiだけで孫の七五三の様子も届いたし、いくつかの事務連絡など困らずにできた。

また、空港内に靴磨きがあり、最近は見ないなーなどと懐かしかった。
私はプリントアウトしたEチケットを持ち歩いたが、スマホをかざす人も見かけた。
カーボン紙の綴りの航空券は最早どこにも無い。

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無事に帰京できて良かった。
そして、羽田が一番寒かった。

終わり

シリコンバレー&グランドキャニオン7 [旅]

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

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さあ、グランドキャニオン・サウスリムからの眺め

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いくつかの展望台へ連れて行ってもらった。

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広大な空の下 縦、横、高さ、そしてこの奥行き感がスゴイ!

9月に室堂展望台から槍穂高を遠望したが、その間にはいくつの山々・いくつの川筋・・・
グランドキャニオンは South Rim から対岸の North Rim まで眼下2100mのコロラド川1本だけ!
石川さゆりさんが North Rim から2000mを下り川を渡り South Rim まで登る5泊のトレッキングの番組をテレビで見たが、展望台から覗くと幾筋かのトレッキングのコースが見えた。
1週間くらいで、川下りのプログラムやトレッキングのプログラムが色々あるようだが、婆は行って来ましたツアーでせめて1泊する様に組んだら日の出から夕日まで眺めていられたのにと少し残念だった。
(おまけのミッションなので調査不足)


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帰途は夕日を追いかけて一気に西へ走る。ネヴァダ州とアリゾナ州で1時間の時差がある。
アメリカの空って広いな〜?

ラスベガスの街は、砂漠の中にすべて人工的に何でも作ってある。
水・電気を引いてパリでもエジプトでもローマでも何でもござれ!
もしかして、アメリカそのものが、そうかも?

近代化するのが大変だったと歴史で学んだ。
ヨーロッパでは革命が必要だったし、日本では明治維新、インドや中国やアジアでは植民地支配からだった?
そんな末の近代国家をスポッと移植したのがアメリカ?
(メイフラワー号も独立戦争も吹っ飛ばす大雑把な話だが)
移植先の大地が広大で肥沃だったのでしっかりと太い根を張り、まるでお化け植物の様に近代国家だか資本主義だかがむしろヨーロッパより成長した?
禁酒法のような不自然な?法律ができたり廃止されたり、振れては揺り戻したりのプラクティカルな実験場は若く元気な植物の様に試行して(切られても芽吹いて)進んでいる。
世界へ兵隊を出し傷痍軍人を抱え、観光客には格差は良く分からなかったが日本の比ではないたくさんの多様性を大きな身体(懐)に抱え込んで、新しい産業を生み出している。
などとぼんやり考えているうちに、やっとラスベガスへ戻った。
部屋に落ち着いたら21:00過ぎだったかな?良く走った。

日本人として長い独立国としての歴史から誇れる穏やかなしなやかな生き方を胸の内に探したい。

終わり

シリコンバレー&グランドキャニオン6 [旅]

早朝6:00のお迎えで、陸路往復900kmのグランドキャニオンツアーが始まる。
地図上の直線距離はラスベガスから200kmくらいだが、渓谷が険しく南へ100km東へ200km北へ100kmの見当でバスが走る。

南へ向かうと、フーバーダム、その建設の為に出来たボールダーシティ。
大恐慌の頃に作ったと習った覚えがある。
調べるとこのダムで作られたミード湖の貯水量は日本全国のダムの総貯水量を遥かに越えるとか。

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ダムの堰堤を通る。

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Kingmanと言う街でトイレ休憩し、ここからは国道40号線大陸横断道路を東に走る。
3車線の大動脈で、所々に宿泊・給油などの設備があり、西はロスアンジェルス経由メキシコから東海岸へトラックドライバーは3日半くらいで大陸横断するとの事。
私はサンフランシスコから来たが、スタインベックの「怒りのぶどう」の逆コースだ。

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途中40号線によりさびれたroute66沿いのSeligmanと言う街へ寄った。
映画「カーズ」の舞台となった街で、エンゼルおじいちゃんと言う人がroute66で町起こしをしているそうだ。
ライダー系の人達の聖地という事だ。

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サンタフェ鉄道(左)と並走するroute66(右)西方を望む

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長ーく貨車を連結した貨物列車がゆっくりと走っていたが、日本では、いつまでも踏切が開かず考えられない貨物列車だ。
スタインベックの「エデンの東」でレタスを冷凍貨車で東部に運ぶ話を思い出していた。
NHKテレビで「ルート66」と言うドラマをリアルタイムで見ていた世代だし、曲も好きだし、あの頃は子供心にアメリカが輝いて見えていた。

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寂しい町の様子

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大陸横断はまず幌馬車で西へ、次は鉄道を敷いて西へ、その後自動車が発達して道路整備が進んだ。
route66はフリーウェイの国道40号線が整備され、人が通らなくなった。
そういえば、シャーロックホームズも鉄道と馬車の時代だった。

などなど、ぼんやり考えながら、私はサンフランシスコから来たが、大恐慌の頃この道を馬車に家財を積んでオクラホマから一家で西を目指した「怒りのぶどう」の一家はカリフォルニアの沃野でフルーツ栽培の農夫になったと思い出していた。

植生が単調だ。色々な種類の木や草が生えているのではなく、場所毎に違うが、その一帯ではほとんど同じ種類の植物だ。

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北上を始め、飛行場を過ぎ、ランチを食べた後にグランドキャニオンのサウスリムへ到着した。


シリコンバレー&グランドキャニオン5 [旅]

翌日はゆっくりサンフランシスコを楽しんだ。
ケーブルカーに乗ってみた。

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坂の街のケーブルなので、グリップとブレーキを操るのが命。

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霧の中にアルカトラズ島がかすんで見える。

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金門橋も霧の中。

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お土産を買った。
チョコレート、ナパバレーのワイン、NORTH FACE のフリース、孫にTIffanyのスプーン、
Appleで家族全員のTシャツを買ったら、孫まで店員さんみたいでストアが始められそうだ。

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サンフランシスコ空港の近くに49ersのスタジアムが見えたが、これもサンノゼの方へ移るらしい。

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砂と岩山の上を越えて、ラスベガスへ到着。

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明日はグランドキャニオンへ!