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台北行 [巡礼]

週末を利用し、娘と速攻で台北行をしてきた。
沖縄旅行の予定だったが、台北まで行く事が出来た。
義母も、母も、植民地時代の台湾で育ったので、娘にすれば、両方のおばあちゃんの所縁の場所のはずだが、何の思い入れもなく、B級グルメとエステを楽しんでいた。

2日間しか時間がないので、1日目に基隆へ出かけた。義母の生まれた街だ。
高速バスで1時間弱かかるが、往復100元(1元=4円)、安い!

まずは、屋台で腹ごしらえ。お宮の前が夜市になっている。

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お宮にお参りし、境内の屋台で、エビすり身入り、湯麺を食べた。スープが薄味でお味がよく、ユリ科の風味のある金針というらしい乾物が歯応えも良く美味しかった。麺は、ワンタンの皮のサイズでお米で作るらしく、厚みが5mmくらいあり、プルンと丸まっていた。小葱とセロリの薬味も香り良く美味しかった。55元だった。

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デザートは、泡泡沫というピーナツ味のアイスを食べた。

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気がつけば、街が清潔だ。
暑いところなので、水が溜まるだけでもすぐ匂うのだが、どこも清潔にしてあり、嫌な匂いも全然ない。
至る所にゴミ袋がある。

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その後、汁ビーフンを食べた。20元だった。これも美味しかった。

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後は、お腹がいっぱいなので、写真を撮らせてもらっただけだった。


おこわ

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汁そうめん

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天ぷら(さつまあげ)

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おでん(真ん中のモノが豚の血の塊?)

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何をするために、どこにいるのかを忘れ、楽しんだ。
暑さも気にならず、汗を拭く事もなかった。

核融合研 [巡礼]

11月10日(土)岐阜県土岐市にある核融合科学研究所に出かけた。

久しぶりの東海道新幹線に初めて品川から乗った。
静かで快適な走行、あっという間の名古屋というスピード、運行を含めたシステム全体への高い信頼性、すごい進歩に感激した。

名古屋で中央線に乗り換え、多治見からシャトルバスで核融合研へ行った。
ご本尊の核融合炉が収まっている大きな建屋、半円筒のプラズマ研究棟、超伝導を研究する低温実験棟、管理棟・・・が雑木林を切開いた敷地に建っていた。

研究職員の解説付きで見学した。
やはり圧倒的な存在感を持って、ヘリカル核融合炉があった。意外に小さなものではあったが・・・
ドーナツ型の容器にプラズマを閉じ込めその周りを超伝道のコイルを螺旋状に巻いて、磁場を作って縛っていくヘリカルは、立体メビウスの帯と言うかクラインボトルと言うか、粘土と紐で作れそうだが、複素関数の世界になり金属をNCで削りだして造るのは難しそうな形状だった。
現在のご本尊の大型ヘリカルは計測器などに囲まれて、ほとんどドーナツ型の姿は見えなかった。

結局、主な研究の柱は、閉じ込めたプラズマに外からエネルギー(=熱)を与えて励起する事と、コイルに超伝導を実現するために限りなく絶対零度近くまで冷やす事、その2つの事象が、紙一重で隣り合っている為に、熱の移動を遮断する事であるように見えた。長年の疑問であった、超伝導コイルにどうやって電流を流し、衰えた時にもどうやって電気を補給するのかと言う事に、見事な実験が用意され、答えてくれていた。電磁誘導で電流を流すのだった。これですっきりした。

計画から20年ほど経ち、あと30年くらいで、核融合が実現する予定だとか・・・
夫がこの施設の伽藍配置(基本計画)を担当させていただいた事を誇りに思う。
そのために、スタッフ一同皆で核融合の勉強をした事も懐かしく思い出された。
見学者のコースも最初の計画から考えてあったのだから。
想いの一端でも感じる事ができたかな?行って良かった!

お土産は赤福もお福餅も全滅して、岐阜の名物の季節の柿の入った外郎にした。


パリ茶会5(モン・サン・ミッシェル) [巡礼]

最後の日は、モン・サン・ミッシェルへ出かけた。
パリから観光バスで片道5時間かかった。
フランスの農業地帯をノルマンディ高速道が通っていた。
日本のお百姓さんとか、アメリカのファーマーとかは、何となく自分なりにあるキャラクターのイメージがあるが、農業国なのに、フランスの農夫さんのキャラがイメージできない事に気が付いた。

モン・サン・ミッシェルは、変な例えだが、一回り小さな江ノ島に一回り大きな清水寺が建っている感じだった。
島に渡ると、狭い上り坂の参道にお土産物屋さんが並び、三年坂のようだった。
長い間に少しずつ要塞の様に教会が造られてきたという事だった。
意匠はケルト風だった。
この様な所を見ると思うのだが、信仰の力(一神教)と言うのは、すごいものだと思った。
オムレツとシードルのランチを頂き、パリへの帰途に着いた。

翌日のお昼頃にシャルル・ド・ゴールを離陸し、夜行で翌朝、成田へ着いた。
パリへの巡礼の旅が終わり、いつもの通りの日常の続きが始まった。

砂州の上の駐車場

聖堂

ケルト模様のステンドグラス

ハマナスのブッシュごしにサヨウナラ


パリ茶会4(ベルサイユ) [巡礼]

さて、旅の目的を果たし、後はお楽しみの観光だ。と言ってもセットされていたので、ガイド付の観光バスの旅となった。
茶会翌日はベルサイユへ行った。
昔のパリ滞在時には、ストが打たれて、ルーブルにも入れず、ベルサイユへは行っていなかったのだ。

パリの西方数十キロにそのままの宮殿があった。
朝一番で出かけたので、東から日が昇る、そちらの方向がパリなのだ。
革命の時には、その方向から、大勢の蜂起した革命軍?民衆?がこの宮殿に押し寄せてきたのだろう。
広く立派な建物を見学し、庭に出た。全体に東西方向が軸線となるこのロケーションの素晴らしさと、スケールの大きさがすごかった。
建物、庭園、それに続く猟場の森をなるべくそのままに保存してあったのだ。
地位を失った王家の人達はパリへ移され、略奪なども有った事だろうが、燃えたりもせず、保たれていた。
これは、自分達の文化に誇りと自信を持ち、明確な意思を持って保ってきたもののように思われた。
日本だったら、「首都まで数十キロの通勤圏内、セレブで優雅な古都の住宅地」とか言って森の一部を宅地開発して売り出しかねない状況も想像できる。
更に言えば、「世界遺産」って、ユネスコが仕掛けた保存競争?
日本では、開発の旨味がなく、不便な暮らしのまま打ち捨てられた所(失礼な言い方をお許し下さい)が保存が良いというラッキーな事で、世界遺産に指定されたりする。細々と、保存の為にボランティアが活動しているだけの所もありそうだ。
でも、国が、自治体が、文化に対する誇りと意思を持って対応しているだろうか?今なら必要なお金が無い訳ではないと思うが・・・
これが本当の世界遺産というものかと感心した。

東方向 こちらがパリの方向

庭園の写った鏡の回廊(撮る自分の姿が写っている)

北の方角


南の方角 
庭園に花があったが、バラではなかった。でも、このお庭でたくさんの会話が交わされたことだろう。

西の方角 はるか軸線上に森までが連なる


葉山 [巡礼]

人が減り、道路も空いている首都圏、空が青く暑さが続く。
一人で近場へ小さな旅に出かけた。
目指すは、葉山の湘南国際村にある総合研究大学院大学!
横横道-逗葉道を抜けると三浦半島の背骨のような真っ直ぐで長いトンネルが続き、出口から登りが始まった。
丘陵の上に湘南国際村が展開していた。
素晴らしいロケーション!
青く広がる相模湾にヨットの白い帆が見え、遠くの半島の山影が霞んでいた。
残念ながら、水蒸気が多い為か富士山は見えなかった。
総研大を見学し、葉山へ降りた。海水浴の人出で渋滞しているかと心配したが、町中の流れは良かった。
日影茶屋でランチのお弁当を頂き、CHAYAでケーキを買い、空いている道路を飛ばして帰宅した。
楽しいプチ一人旅だった。

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ビールが飲めずに、残念!