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日本中世の自由と平等 [地歴]

gaccoの「日本中世の自由と平等」4週が終了した。
YouTubeを何度も再生して、本郷先生のお話を理解しながらついて行くだけで精一杯、他の史料に当たる余裕も無いまま時間が過ぎた。
最終レポートを提出したのだが、レポートなどを書くなどとどうしたら良いかも分からなかった。
結局、講義の要約になってしまい、文字数制限の中、考察を一言も書けなかった。

学生時代とは違って大人になってみれば、さもありなん事も理解でき、色々刺激を受けた。
本郷先生の考え方は金ちゃんに似てる!
ゾレンでなくザインから見て行くと!

大学生の頃だったと思うが、遂に日本で米の自給が達成された。
律令の頃から、黒板の上に貼ってあった年表に大書きされていた「墾田永代私有令」を経て、2000年の悲願達成かと一人で感激していた。
すぐに減反政策が始まり、今では人口減少も始まっている。

正倉院展で見た、近畿圏ではなく関東地方の納税台帳戸籍に感心したものだが、素直なおバカだったかもしれないと思わされた。
めったにないものだから、正倉院の宝物になって虫干しをして保存してあるのかもしれないと。
シロウトの私がどう考えても、やはり武蔵や安房の国の隅々まで公地公民管理が出来てたのかな?と
これはゾレンだったのかと。

父の転勤で行った60年も前の釧路では、史跡はアイヌの古戦場のチャランケチャシしか聞かなかった。
しかし記録が無いだけで、人間はたくましいし、海の幸・森の幸が豊かだから、日本人かどうか不明だが、漁師・猟師はずっと住んでいたに違いないと思えるようになった。(網野2倍史学)
それから熊本県八代市へ転勤した。
ここでは、山の上から海(干拓地も)まで、隅々くまなく人の手が入ってしっかり管理されていた。
水田の中に点々と島のように古墳が残り、懐良親王陵もあった。平家の落人部落の人達は色が白く顔も身体も立派でハンサムだった。
こちらは日本史の典型的な場所だったのだと分かる。
お米がよく穫れた所だから、たくさん京都へ送られた事だろう。

温故知新、歴史を学ぶ心が少し分かった気になった。
考古学は面白そうだと分かるが、日本史も面白そうだ。

今年もたくさん咲いてくれたアイスバーグ、ありがとう!

s400IMG_1825.jpg



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selybar

contaさま>ご訪問& nice! ありがとうございます。


by selybar (2014-06-03 12:23) 

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