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ベトナム戦争を知らない子供達 [地歴]

帰宅後、残っていた電気工事などを済ませた。

11月に入り、楽しみにしていた激安ベトナム旅行「ダナン・フエ・ホイアンの旅」へ出かけた。
いずれも北爆のニュースでよく目にしていた地名だった。
現ホーチミン(旧サイゴン)へ行った時には行けなかった。

ダナンから古都フエへ
今はハイヴァン峠 ではなくトンネルが出来て便利になった様だ。

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古都といっても1902年〜1945年に、グエン王朝があった。
そんなに古い話ではなかった。
廟は大理石造りというけれど、
アンコールワットの様に、(亜)熱帯モンスーン?で早くも黒い遺跡になっている。

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街中にあるホーチミン氏の卒業した高等学校が見学コースとなっていた。
フエ大学は京都大学の様な存在らしく、落ち着いた街だった。

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川の上流のお寺を見学した。禅宗らしかった。

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王宮があった。1945年までフランス統治下で機能していた。
2重のお濠に囲まれた内部は、戦争の跡が残った壁以外は破壊されていた。
一つずつ復元している所らしい。
日本で普通に戦争中にとか、空襲でとか言うと70年前の太平洋戦争を指すが、ベトナムでは40年前のベトナム戦争を指す。

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市場とスーパーマーケットにも行き、念願の編笠を購入し、早速被り始めた。
これに天秤棒を担げば、ベトナムのお婆さんの出来上がり。
ホテルもランクが上がった。

翌日はホイアンへ移動した。
途中、ベトナム縦断列車と並走した。
3時間に1本しか走らないので、見かけたらラッキーという事らしい。

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ホイアンは、40年も前に茶道で黄交趾とか紫交趾とかを知り、この地からの到来物と知ってから、ずっと興味を持っていた。
ルソン助左衛門?茶屋次郎四郎?がこの地との交易をしていたと。
行ってみれば、確かに数10年の差だとは思うが、この地は越南・中国・日本だけだった。
東インド会社もフランスも気配がなかった。
1600年が関ヶ原、1602年が最初の株式会社の東インド会社だったはず。

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日本橋の先に日本人街があった。

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夜は、色とりどりのランタンで楽しんだ。

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さすがにお米が一年に2回、3回採れる所、米が採れないから蕎麦が名産ではなく、色々なフォーなど米の粉で作られている。
スープは値段で旨味が違う。
バナナの花のスープ

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3泊食事付きで、添乗員は30代のフエ大学で日本語を学んだ好青年。
ベトナムの戦争を知らない子供達も働き盛り、頼もしい。
戦争を知らない子供達とは日本では我々団塊の世代だが、ベトナムの戦争を知らない子供達は、団塊の世代の子供達と同じ世代、一代進んでいる。

シンチャオ(万能挨拶)
カムオン(ありがとう)
ゴン(美味しい)
を覚えた。

1975年に初めてロンドンへ行った時には、街中に高齢者が多いと思ったが、
ご近所は今、老人ばかり。「イギリス病」ではなく「日本病」か。

日本は敗戦の戦後であっても高度成長期にはこんな風に見えた事だろうが、
ベトナムは戦勝後で若い人たちが多く、真面目で将来が楽しみだ。


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selybar

mwainfo様>ご訪問&nice! ありがとうございました。


by selybar (2017-02-05 18:06) 

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