そうだ、西安へ行こう!阿倍仲麻呂 [地歴]
市内の興慶宮公園に碑が立っていた。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
百人一首の歌だが、阿倍仲麻呂(698年-770年Wikipediaより)は遣唐使に選ばれて唐に渡り、船が難破して帰国できずに、日本へ帰ることなく没したと習った。
学問を修め、科挙(未だなかったかな?)に合格し、唐の官吏となって出世したらしく、
有名な詩人の李白とお友達だったようだ。すごい!
写真では分かりにくいが、碑には、「天の原 ・・・・・」の漢詩バージョンが左面に、
阿倍仲麻呂が乗った船が難破したと聞いて、嘆き悲しむ?李白の詩が右面に彫られている。
船が難破し、海を渡ることが大変だったと聞いていたが、中国大陸へ上陸した後、長安までも遥かな旅路だった事だろうと思い至った。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
百人一首の歌だが、阿倍仲麻呂(698年-770年Wikipediaより)は遣唐使に選ばれて唐に渡り、船が難破して帰国できずに、日本へ帰ることなく没したと習った。
学問を修め、科挙(未だなかったかな?)に合格し、唐の官吏となって出世したらしく、
有名な詩人の李白とお友達だったようだ。すごい!
写真では分かりにくいが、碑には、「天の原 ・・・・・」の漢詩バージョンが左面に、
阿倍仲麻呂が乗った船が難破したと聞いて、嘆き悲しむ?李白の詩が右面に彫られている。
船が難破し、海を渡ることが大変だったと聞いていたが、中国大陸へ上陸した後、長安までも遥かな旅路だった事だろうと思い至った。
そうだ、西安へ行こう! 三蔵法師 [地歴]
西安は、中国のほぼ真ん中に位置する。何度か国の中心になった。
長安と呼ばれた時代があった。
大雁塔:大慈恩寺
隋の後、唐の時代、玄奘三蔵法師は629-645年(世界史年表による)インドへ出かけ経典を持ち帰り、こちらで翻訳して大雁塔に納めた。
日本は、大化の改新?
大雁塔に登り、最上階からの西安の街
西安からシルクロードが始まる。
長安と呼ばれた時代があった。
大雁塔:大慈恩寺
隋の後、唐の時代、玄奘三蔵法師は629-645年(世界史年表による)インドへ出かけ経典を持ち帰り、こちらで翻訳して大雁塔に納めた。
日本は、大化の改新?
大雁塔に登り、最上階からの西安の街
西安からシルクロードが始まる。
そうだ、西安へ行こう! [旅]
遅くなったが、2月に出かけた西安の備忘録を忘れないうちに、、、
帰宅してから、すぐに横山光輝作「漫画 三国志」30巻を読み、さらに3人目の孫の出産などがあり、忘れてしまいそう。
上海と北京しか中国を知らないが、黄河と揚子江それぞれの上流への興味が尽きず、ずーっと行ってみたいと思っていた漢中原(かんちゅうげん)、格安パック旅行「西安」に一人参加して出かけた。
「兵馬俑」「玄奘三蔵法師」「阿倍仲麻呂」「空海」と。
安いパックなので、上海乗り継ぎで行きに1日、帰りに1日かかり、中2日の観光となった。
夜に西安の飛行場に着き、バスで市内のお宿まで行く途中、「渭水です」とガイドさんが言うので窓外を見ると、バスは橋の上を走り河を渡っている、暗い中遠くに岸?が見える長い橋、大河だ!
おもむろにバッグからスマホを出して、写真を撮ってみた。十分間に合った。
でかい!
お宿は、城壁の西面のすぐ城外だった。
翌日は、早速「兵馬俑」へ
西安は北に渭水、南が秦嶺山脈の間にある。
アメリカの様に、何でもでかそうだ!河も平野も山も?
大きな体育館の様な建物に番号がつけられ何棟かあり、発掘、展示、研究、修復や博物館となっていた。
さらに未発掘の遺跡が埋まっている様だった。
上野の博物館での展示があった時に見た?どこも壊れていない完全なまま出土した兵士像、履物の靴底の滑り止めのパターンが爪先と踵で変えてある芸の細かさ!
近くにある始皇帝陵
これらが、紀元前221年秦の始皇帝が天下を統一したと年表にある、日本は縄文か弥生か。
保存を研究しながら、慎重に発掘を進めるのだとか。
まだまだ、発掘すると色々出てきそうだ。
帰宅してから、すぐに横山光輝作「漫画 三国志」30巻を読み、さらに3人目の孫の出産などがあり、忘れてしまいそう。
上海と北京しか中国を知らないが、黄河と揚子江それぞれの上流への興味が尽きず、ずーっと行ってみたいと思っていた漢中原(かんちゅうげん)、格安パック旅行「西安」に一人参加して出かけた。
「兵馬俑」「玄奘三蔵法師」「阿倍仲麻呂」「空海」と。
安いパックなので、上海乗り継ぎで行きに1日、帰りに1日かかり、中2日の観光となった。
夜に西安の飛行場に着き、バスで市内のお宿まで行く途中、「渭水です」とガイドさんが言うので窓外を見ると、バスは橋の上を走り河を渡っている、暗い中遠くに岸?が見える長い橋、大河だ!
おもむろにバッグからスマホを出して、写真を撮ってみた。十分間に合った。
でかい!
お宿は、城壁の西面のすぐ城外だった。
翌日は、早速「兵馬俑」へ
西安は北に渭水、南が秦嶺山脈の間にある。
アメリカの様に、何でもでかそうだ!河も平野も山も?
大きな体育館の様な建物に番号がつけられ何棟かあり、発掘、展示、研究、修復や博物館となっていた。
さらに未発掘の遺跡が埋まっている様だった。
上野の博物館での展示があった時に見た?どこも壊れていない完全なまま出土した兵士像、履物の靴底の滑り止めのパターンが爪先と踵で変えてある芸の細かさ!
近くにある始皇帝陵
これらが、紀元前221年秦の始皇帝が天下を統一したと年表にある、日本は縄文か弥生か。
保存を研究しながら、慎重に発掘を進めるのだとか。
まだまだ、発掘すると色々出てきそうだ。