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孫の足 [家族]

ボールのおもちゃを手で掴んで遊んでいたら、足が出てきて手から足へのパスとなった。

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「個体発生は系統発生を繰り返す」でした?
歩くようになると、足は段々退化して不器用になってゆくのでしょうね。

お宮参り [家族]

「足跡展」が無事終了した翌日、爽やかに晴れた。
明治神宮でお宮参りをした。

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「元気で大きくなりますように」と、100%希望に満ちた小さい宝物の未来を祈った。

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これで一連の行事が終わった。

この1年、アイスランドの噴火をタッチの差で逃れてイタリア旅行から帰国し、母のアルツハイマー、タロウの死、母のホーム入居、ホーム通い、オランダ茶会、北京行、孫の誕生、東日本大震災と福島原発、夫の足跡展、・・・色々あった。

少し、ゆっくり休もう。

女4代ご対面 [家族]

妹が、ホームの母を連れて来てくれた。

母はこの日を楽しみに、クリスマスが終わり1月に入ると、ホームでせっせと「つるし雛」飾りのオーナメントを作り溜めて、お祝いに持って来てくれた。
赤ちゃんを抱っこして「こんなに小さかったかしらね」と自分のお産を思い出しての昔話を聞く事ができた。
「綺麗な顔の赤ちゃんね、私の時は皆もっと太っていたから、最初から赤ちゃん顔だった」といった話をしてくれた。

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和風あり、洋風あり、手元にある材料で工夫を凝らしたつるし雛、曾祖母より曾孫への何よりの贈り物となった。

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「回りにあるものを工夫して、まるでキャンプにでも来ているようだ」と以前母がホームで話していた。
さるぼぼの頭の型紙は、ヨーグルトのカップを毎朝洗って取ってあり、ちょうどのサイズだった。
コンパスなんて無くても、だいたい見当がつくのは長年の経験による。

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ありがたい幸せを感じながらの1日だった。


孫誕生で思う事 [家族]

女の赤ちゃんが生まれ、犬のタロウもいなくなったので、16年ぶり?に娘のお雛様を飾った。

娘・孫と続く幸せを祈りながら、私もしみじみ幸福を味わった。

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天使の手 [家族]

予定日より10日ほど遅れて初めての孫を授かった。
(申し遅れましたが、2615gの女児です。2/10追記)

自分の気持ちがどう動くのか、楽しみにしていたのだが、
劇的な変化がある訳もなく、それでも、翌日にはやっぱり洗濯機も新しくしなくては、とヤマダ電機へイソイソ出かける自分がいたのだった。

「自分の子供は、何でも全部可愛い」とホヤホヤの母親の発言、
「孫は無条件に可愛い」とホヤホヤの祖母の発言、
老眼には辛いが、じっと間近に見ていて飽きない、
ベビーサイズの世界に入り込んでしまいそうだ。
小さいだけで可愛いのに、手足の指が長くて良く動き爪も伸びる。4本の指付け根の幅が3cmほど

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一人生まれると、少なくとも親戚の20~30人はハッピーになる。
何てすばらしい存在なのだろう!
少しペシミストになっていたが、「これからの世代の為に、精一杯できる事をして行こう」と強く思わせてくれている。
生きる張り合い、働く張り合いが出ると言う事を教えてくれた。
心よりの感謝!

見えざる神の手ならぬ可愛い天使の手は絶大な経済効果をもたらしている。
大人が細々暮していれば、家電だとて修理して動かなくなっての買い替えとなるが、いつかは更新するのだからと、赤ちゃんを預かる冬にエアコンが壊れたら困る!ので20年以上使って来たエアコン・畳・ふすまを更新した。
年末に給湯器が寿命で更新、そして洗濯機もこの際、新しくする事に。新しいと水槽もきれいだ。
だましだまし使って来た古い家電が、やっとボツボツ省エネタイプになり始めた。

皆さんがおっしゃる「孫は可愛い」
この幸せを実感中!!!



心待ち [家族]

明けまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

今年は新しい家族が増える予定、Angelの到来を皆、心待ちにしている。

赤ちゃんに使いなさいと母から譲られたパッチワーク、私たち兄弟の産着の裂地や祖父母たちの見覚えのある懐かしい着物や羽織の柄、私と妹の七・五・三の着物など、これもメモリアルになっている。

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娘は、よだれかけ(スタイと呼ぶ?)をせっせと制作し、いつもながら自分の娘とは思われないで、
やっぱり母の孫娘だと感心する。
これは、着古した自分のTシャツとブラウスで試しに製作した。
この後、可愛い布地でレースを挟んだりして、たくさん準備できた。

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母は、お陰様で元気になり、お金を持たないホーム生活なので、お年玉があげられないからと、孫娘達に一体ずつテディ・ベアを製作できるほどに回復した。

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私は、拙い手で駅伝を見ながら胴着を編んだ。
ところが仕事が遅く5日にやっと完成、しかも実用一点張りのノーデコレーション!

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寒の入りとなるが、陽射しは気のせいか明るくなってきている。
皆で、元気な誕生を祈り、待っています!

善光寺参り [家族]

少し前になるが、娘が誘ってくれて善光寺還暦参りをしてきた。

初めての長野新幹線、大宮から乗ると40分で軽井沢・そして長野。
うたた寝もできないスピードで、昔のスキー列車とは大違い!

門前の宿坊が続く

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仁王門をくぐり

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牛に引かれて善光寺参り

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三門をくぐり

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いよいよ本堂へ向かいお参りした。
還暦を越えられなかった夫を想いこれまでの健康を感謝した。

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立派な伽藍だった。
たいてい、「〇〇宗総本山」と大きな碑が建っているのだが、見当たらない。立ち葵と菊の紋章。
「何宗ですか?」と尋ねると、「こちらは宗派がありません、言ってみれば皆の宗です」とお寺の方のお話だった。
ウマイ!
独立したお寺だけの存在なのだろうか?
元善光寺のお守りをもらった事があるが、お坊様も見かけるし経典などはどうなっているのだろうか?
全国の末寺からの集金システムは?

行く前にホームページを開けてみたら「還暦参り」とあった。
これまであまり聞かなかったが、確かに「七五三参り」などより団塊の世代は人口が多く、暇になりつつあり、元気でお金もそこそこある。
失礼だが、お商売的に考えると、良いかもしれない。クラス会などにどうぞ!と営業してあった。
あるいは、「牛に曳かれて善光寺参り」と昔から聞くのは、還暦過ぎた高齢者の参拝が多かったという事?
などと考えながら、境内を一周した。

参拝が済んで、信濃ではお蕎麦(薬味はネギとワサビではなく、ネギと大根おろし)と地酒

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善男善女になった一日だった。


生き仏(墓じまい) [家族]

日本中が旧盆の夏休みに突入した。
昨年は父の新盆で張り切っていた母の姿が、ウソのようだ。

考えてみると、お墓とか宗教とか亡くなった霊を弔う事は、遺された人達(生き仏)のためのシステムだ。
死んで行く者としては、十分生きたと思えば「死んでしまえばそれまでよ」とばかりに、誰かにお参りしてほしいわけではない。
いきなり永代供養の無縁仏でも構わない。あちらはとても親しい世界になりつつあるのだ。
それでも、遺された身になれば、お参りする所があるとありがたい。
折々にふれて、想い出し、今を生きる確認ができ希望を語れる。

昔、母が舅や姑に「〇〇は仏様の好物だったから、お彼岸には〇〇をお供えするように」と言われて、お彼岸や命日にそれぞれ台所で年中行事の料理をしていた。
陰で「本当は、生き仏様の好物なのよ、献立が決まっていれば楽なものよ」とスイスイと支度をしていた。

これが真実!
私も、我が家の男の仏様達の大好物のアルコールは切らさないが、義母の好物の甘味はたまさか手に入った時だけお供えするという勝手さだ。
自分の好みでお茶だけ、コーヒー好きだった仏様はさぞや淋しい思い?

新聞に「墓じまい」という記事が載っていた。
少子高齢化した日本の人口構成では、お守する生き仏が足りなくなる。
一人っ子同士で結婚した人達などは、2人で4人の親を看て後・・・?
我が家も、いずれは永代供養の無縁仏だ。

墓地やお寺は、還された区画を又整地して、新しく売り出している。
天空では、仏様達がくしゃみですか?

今年は頂いた朝顔の「団十郎」がしゃれた色で咲いている。
ありがたや!

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明日は我が身 [家族]

所在不明の高齢者報道が多くなった。
敬老の日が近付いている。

今年、母をホームにお願いするに当たり、住民登録は?と聞いてみた。
神奈川県にある民間のホームに入ったのだが、「現在の東京都のそのままで、大丈夫です。住民票を移すと、介護認定などはこちらの自治体で1からやり直しになり、決まるまでしばらくはサービスが受けられません。」
それは大変、介護サービスが必要になったからホームに入りたいのに・・・
とりあえず、家は空き家になり、住民票はそのままでホームへ入居した。

後期高齢者健康保険や介護関係の書類などは、郵便物の転送をしているので届くが、一番大切な保険証などは転送不要となっており、問い合わせのお知らせだけが転送されてくる。それから役所へ連絡して送ってもらう。
今は何とかなる。
でも、これから10年20年経ち、私自身も後期高齢者となりボケる事も先に死ぬ事も十分あるだろう。
どうする?
母は、「ここで100歳まで生きる」と少しずつ覚悟が出て来た様だ。

自宅を処分して入居なさる方もいるようなホームでは住民登録をなさる方もあるだろうが、病院に入院する人がそのまま寝付いて老人保健施設を転々として自宅へ帰れない状態でも、だれも住民票を病院へ移したりはしない。
住む人のいなくなった家が借家だったりしたら、大家さんは駐車場にするかもしれない。

住民登録してある場所が、終の棲家ではなくなっている事が多くあると思う。

行政ばかりが非難されているようだが、少子高齢化暮らしのシステムとして何とかできないものか?
個人的には、ボンヤリと「姨捨山」が頭をよぎる。

後家楽して、葛西水族館へ遊びに行ってきた。
お魚は何を思う?

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その後(今年のバラ) [家族]

気が付けば入梅、アジサイがきれいな色となっていた。
母が、ホームへ入居し、毎日交替で通っている。

帰宅願望が強く、現金を持たされていないのが心細いようだ。
どうやって駅まで行き、切符を買い、家へ帰るのかを考えては、途方に暮れているようだ。
出張美容院でヘアカットしてもらい「まことに恥ずかしい事ですが、持ち合わせがありませんのでお支払いができませんのです」と謝っている。
「お金が無いからタクシーにも乗れない」ので、お転婆の母らしく「もう歩いて帰るしかない」と思っている。
脱走を企て実行する事はないが、それを徘徊と呼ぶのだろう。
そして、泣き上戸になってしまった。
笑い上戸ではないが、誰彼かまわず喧嘩を吹っ掛けて歩く怒り上戸でなく良かった。

慣れるまでと思っているが、「認知という病気にかかってしまい、一人暮らしができなくなったので、皆さんと一緒に暮らすホームへ引っ越した」事を、繰り返し説明して行こうと思う。

人生最後の病に何が来るかは分からないが、「明日は我が身」他人事ではない。

認知症の外来問診でも、ホームの入居でも、成育歴から始まって色々聞かれる。
出身地は?親の職業は?・・・・
でも、人生の盛りに一番長く暮らした場所や一番苦労した仕事などを誰も聞いてくれていなかった。
そんな事は当たり前なのだろうか?
ホームにいらっしゃるたくさんの高齢者の一人一人にスゴイ人生のドラマがあると想像して、何ともったいない事と思った。

タロウも亡くし、今年はバラの写真も少ない。(1か月前)

年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず

アイスバーグ

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グラハムトーマス

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さすがに疲れて来た。
長くなる、続くようにやって行こう。


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