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アラカン修学旅行(正倉院展) [旅]

旅の最大のミッションの「正倉院展」見学と従姉妹に会うために、奈良国立博物館へ。

正倉院に保存されて来た宝物の中から62件の宝物が展示されていた。

印象に残ったのは3件

1.「縹纐纈布袍(はなだこうけちのぬののほう)」
絞り染めの布で造られた衣服で、良く保存されて色が鮮やかに残っていた。

校倉造りの正倉院の中で、どの様に保存してあるのか?
畳んで、たとう紙/包み布で覆い、桐箱に入れて、棚に載せてある?
あるいは、衣服を入れる箪笥がある?
聖武天皇の袈裟もあったが、こちらは包んである布や袋も展示されていた。

着たら、さぞや素敵だろう。


2.「黄熟香」

蘭奢待(らんじゃたい)と呼ばれる香木で、想像していたよりずっと大きかった。
南方から渡来し、これが今まで保存されている事もすごい事だが、保存されている間に香木を切り取った人達の事を思い、日本の歴史をそこから垣間見られる気がした。
足利将軍達や織田信長や明治天皇が切り取っているらしいが、東大寺に正倉院を開けさせて、切り取らせたお香で何をしたのか?
時代は違うが、ロンドン塔のダイアモンドを思うと民族の宝物の妙を感じる。


3.「紙に墨書されたいくつかの記録簿」

これらは数件に渡っているが、まず、紙に墨書が1000年以上経っているとは思われないそのままの状態だ。文字(漢字)も良く分かる。
戸籍簿や税金の記録や正倉院の出蔵録などが展示されていた。
戸籍や税金の記録などは関東地方の物が展示されており、国として行政の基本がしっかりしている事が分かった。
古代の日本の国をチョット誇りに思えた。
勉強して文字を良く知り、能筆であるお役人達のお仕事なのだろう。

見学後、お茶席で従姉妹とお話ができた。

ミッション終了。








アラカン修学旅行(奈良へ) [旅]

前から一度訪れたいと思っていた「正倉院展」へ出かけた。

妹を誘ったら、何と「私、中学校の時は九州に住んでいて、都立高校の時にはもっと遠くへ行ったので、修学旅行で関西へ行った事が無い。東大寺の大仏も法隆寺も行った事が無い」と。
それではアラカンの修学旅行をして来なくっちゃと毎度のヤジキタ道中となった。

亡夫の従姉妹が、毎年正倉院展添釜でお茶のご奉仕をして下さっていると聞いていたので、チョットお目にかかれたらと欲張った。

のぞみ1号で京都へ、そこから近鉄で奈良へ着くと人の流れに乗ってそのまま博物館へ、30分待ちの行列だった。

http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2011toku/shosoin/shosoin_index.html

館内は人がいっぱい!

見学した後、お茶席で従姉妹と少しお話ができた。
着物姿も美しく、色白で賢い面影と物言い、物腰が義母を彷彿とさせた。
義母や亡夫に似ているかしら?と孫の写真を見てもらう事ができた。
お忙しい所をお訪ねして申し訳なかったが、ありがたい事だった。

午後は東大寺を拝観した。
さすが、修学旅行シーズンだった。

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その後、二月堂を廻り奈良公園の中を散策しながらお宿に入った。

翌日、興福寺を拝観してから、法隆寺・中宮寺と廻って京都へ戻り、最後に京都駅ビルをさっと見学して帰宅した。

続く

北京行4 [旅]

中国茶は、たくさんの種類があるようで全部は分からないが、大好きだ。
ここは観光バスで連れて行かれたお茶屋さんのデモ

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実際は、王府井のお茶店で大急ぎで買い物をした。
1斤500g単位での価格表示だった。
大きなお茶の缶がずらっと並んでいた。
ピンキリだが、中の上くらいのランク?となる1斤(500g) 350元~400元のお茶を購入した。
100g換算で日本円1000円くらいとなる。
多分、私が日本で100g5000円くらいの玉露などを購入する様な感じだろうか。

北京で良く飲まれるという茉莉花茶(ジャスミン茶)
うっとりする鉄観音茶(烏龍茶)
浙江省西湖龍井茶(緑茶)
杭州産菊花茶(花茶) これは乾燥菊花1袋
を購入した。
お急須ごとボールのお湯に入れて茉莉花茶を毎日楽しんでいる。
一煎毎に浸出時間を10秒増して7~8煎はイケる。

スーパーマーケットで、100g14元の祁門紅茶を見つけたので、買って来たが、これが結構美味しくてイケていた。
価格表記も100g単位となっており、100g200円くらいとなる。
これはいつも飲んでいるリプトン・紀伊国屋・石井などのリーフティークラスだろう。

美味しいお茶を頂くとうっとりして暫し憂き世を忘れる。

11月上旬、ニュース的にはリスクのある時期の北京行だった。
無事に帰宅できて良かった。
しかし行ってみれば、こっちも庶民・向うも庶民、経済交流を中心に庶民の交流は止まる事無く拡大しているようだ。しかも人口が多く国土も広い!

北京では、野菜をはじめ食料品の価格が値上がりしているという事だった。
スーパーマーケットの中では、日本と同じようでタイムセールに行列していた。
品物のお値段は、感覚的には東京の1/5~2/3くらい。

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調味料の棚
隣りの出汁の棚には読めないが黄色いマギー?や緑のクノール?がずらっと(魚味、牛味、鶏味、野菜味、茸味、、、)並んでいた。

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生鮮食品も豊富に流通しているようだった。

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朝の歩道には、中国風ホットドックやお粥の屋台が出ていた。

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知恵と才覚で精いっぱい頑張って暮らし、自信を持ち始め、豊かになって来ている。
お金持ちも日本の10倍、庶民も10倍の人口がある。
今まではいつか来た道を追って来たが、これからどのように進んでいくのか?
インドと共に、楽しみだ!

北京行記事はこれにて終了

さあ、ホームの母と自宅に妊婦を預かっての歳の暮れとなった。


北京行3 [旅]

市内観光で、ご存じ天安門前広場へ。
地方から上京した人が一度は訪れる場所らしく、多くの中国人観光客と外国人観光客がいた。
外国人はハングルを話す人達をとても多く見かけた。

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毛沢東はこの門の先の故宮(紫禁城)に一度も足を踏み入れた記録が無いとガイドさんから聞いた。
玉座などに興味が無かったのか?信念なのか?

中国の警察に2種類あるらしい。
一つは、ローカルな組織(濃紺の制服)で、もう一つは国の組織(緑の制服)として。
ここには緑の制服が多かったが、どちらもイケメンを揃えて配置してあるようだ。

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門をくぐって入場する。

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次の交替の為の準備が始まっていた。

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再びの故宮太和殿PhotoStich合成写真、「ラストエンペラー」を思い出す。
南北の軸線上にあるので、右が東宮方向、左が西の丸(大奥)方向となる。
イギリス人の家庭教師に自転車を教わったのは東宮の一角、お妃様達が暮らしたのは西の丸と言う事になる。

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百官が額ずいた石畳を進んで下から見上げる。
屋根には、走獣が。

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人だかりと暗さで、「こおろぎ」を隠してあった玉座の写真はうまく撮れなかった。
祖母とほぼ同じ年齢のラストエンペラー溥儀と弟の溥傑、かなりの時間を隔て、2人の死亡記事を新聞で読んだ事ははっきり記憶している。

そして、以前にドイツで出会った素敵な中国の紳士を思い出した。Dr.Fu (溥)とおっしゃった。
我々より10歳程若く、背はさほど高くはないが品が良く色白で、数カ国語が堪能、ドイツの会社で国際営業部長をしていらした。
上海で育ち交通大学を卒業した文革後の世代らしく、すごく優秀に見えた。

私はモノを知らないので、中国にどれくらい溥氏がいるものなのか分からないが、
明らかに私でも分かるくらいこの方は貴い血筋を引く人なのではと思わせた。
当時は元気だった夫が「愛新覚羅一族?」と目くばせ。
しかも、夫の知人である北京市の高官と親戚だという事まで判明した。
もしかしたら、中国の007?
" What a small world ! " と言って別れた。

その数年後、友人(彼女は何回も中国へ出かけ、北京・上海だけでなく西安・揚子江下り・四川成都・西域からパキスタンK2まで行っていらっしゃる)にこの話をしたら、やはり内陸の博物館のお仕事をしている人で、どう見ても貴い血を引いているように見える教養の高い、日本語(庶民の話し方ではなく品の良い)の堪能な人に会った事があると言う。
そこで友人と話したのだが、毛沢東はそんな事をしないが周恩来あたりは澄ました顔で秘かに貴い血筋を残すべく手を廻していた?なんちゃって。何があっても不思議ではないのが中国だから。
あるいは、元々優秀な一族はそれぞれの王朝の地で(江南だったり、河北だったり、四川だったり、北京だったり)共産革命や文革ぐらいではびくともしない連綿とした歴史を培っているのかもしれない。
テレビで確か「孔子の子孫」を見た事があるし、日本にだって平家の落人伝説のある九州の村には、身体の大きな色白の人達が住んでいた。

所詮、百姓出身の「まじめに努力」タイプの自分には分からない世界がありそうだ。

故宮を南から北へ通り抜け、振り返って景山からの眺め

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往時は、皇帝を中心にたくさんの人がここで暮らし、考え、話し、企て、楽しみ・・・
今は、西日を受けて瑠璃瓦の屋根が並ぶ。
ここから出られない人がいたのだった。


北京行2 [旅]

北京市内は、東西南北条里制で分かりやすい街だ。
夏の離宮頤和園を見学した。
故宮(紫禁城)の北西の郊外にあり、運河・川も通じている。

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西太后の月見の宴が破蓮に重なり、栄枯盛衰を思う。

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「ラストエンペラー」と「蒼穹の昴」を見たので少しは往時の事情に思いを致し、
西太后の居室であった楽寿堂、光緒帝がレンガの壁で軟禁された玉瀾堂を見学した。
ほんの100年前、日本では明治維新の後の日清・日露(坂の上の雲の時代)、ここで清国落日のいくつかの場面があったのだった。
日本は持たざる国であったから?、若い人達が懸命に力を出し、また、若い人達に任せられる度量を支配階級が持っていた気がする。

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離宮でこれだから、故宮(紫禁城)はさぞや陰謀術数の渦巻く所だったに違いない。

それから明の十三陵を経て、八達嶺の長城へ登った。
遺跡だろうとかまわず冬支度の青菜が干してある。漬物用だろうか?

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昨年は、長城の北を覗いてみようと思い、壁の狭間から北方を遠望した。同じような丘陵が続いていた。
今年は、西方へ連なる方向へ登った。
此方は遥か西域まで古来いくつもの時代の壁が連なっているとか。夕日の先へと想いを馳せた。

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西へ向かってもっと行ってみたい。
黄河の上流へ、西安、陽関を出でて・・・
揚子江の上流へ、上海駅で見かけた成都行きの寝台車に乗って・・・
青海鉄道へ・・・
昆明へ・・・
大きな国の地理と長い歴史を勉強しなくては、やっぱり三国志も読まなくては、いつになるか分からないが志!

私達が観光する長城や陵墓に、中国の子供達の団体の姿が見えない。
ベネチアでも修学旅行や社会科見学の様な子供の団体を多く見かけたのだが。
中国は多くの民族からなるので、一つの民族の歴史や文化を見学する事が、ある意味デリケートな問題なのだろうか?あるいは、イデオロギー?
北京は明・清と新しいので、3000年もの歴史の中では重みが少ないのか?
「眠れる獅子」と言われた時代もあったようだが、現在は「激流を昇る龍」となるか興味は尽きない。

北京行1 [旅]

友人が誘って下さり、今年も北京へ出かけた。
この時期に中国とはヒンシュクをかいそうなので、静かに行って帰った。

まず、羽田が近い!
自宅からだと品川で乗り換え次の駅(成田エクスプレスなら東京駅)で羽田国際線ターミナル到着。
これは便利!

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飛行機も、尖閣から反日デモの影響かすごく空いている。
今日、キナ臭いニュースのあったソウルから黄海にかけての上空で並行して飛ぶ飛行機が右翼に見えた。
尋ねるとサービス良く機長さんに聞いてくれて「これでも20kmは離れているそうです」と。

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晩秋の北京は風が吹いて、落葉前のポプラの葉がキラキラ光っていた。
まず、胡同(フートン)見学、鐘楼・鼓楼の一帯へ向かった。
さしずめ、日本橋に江戸の長屋が残っている様な感じ。

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水道や電気は各戸へ来ているのに、トイレは四合院のご近所で共同で使っている。

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その後、池の端の様な什刹海(シーチャーハイ)を歩いた。
オシャレなバーなどが多くあった。

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王府井へ移動した。
傍には屋台がズラリと並んでいた。

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庶民は勢い良く右肩上がりに暮らしているように見えた。
胡同は再開発で景気の良い不動産バブルの話が聞こえ、郊外には住宅団地の建設ラッシュが見られた。
いつか来た道?後から来るものは早く追いつく。

誘って下さった友人のブログは下記

http://blogs.yahoo.co.jp/sikinohana65/archive/2010/11/16
http://blogs.yahoo.co.jp/sikinohana65/archive/2010/11/17

こちらもよろしく!


ライデン茶会(ブリュッセル) [旅]

旅の最後は、ブリュッセルの街を楽しんで旅の終わりとなった。

王宮

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お向かいは公園

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大聖堂を見学し前庭へ降りてから振り返って

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足元には

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世界で最初のアーケード商店街ガレリア(鉄とガラスでできるようになった建築)

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街中にはTINTINの壁画

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元祖「小便小僧」

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「世界で一番美しい広場」と言われるグラン・プラスの一角
昔はギルドの建物だったようだが、現在はレース屋さんとチョコレート屋さんで、階上には作家のヴィクトル・ユーゴが住んでいたと

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GODIVAのチョコレート屋さんでは、可愛いパティシエのお嬢さんが「苺大福」ならぬ「苺チョコレート」造りのデモンストレーション中で、カメラを向けるとポーズを取ってくれた。(グラン・プラスの建物が写り込んでしまった)

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GODIVAのお店の角にも

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クラシックな中央駅と後ろのピカピカがEU(ベルギーの人達には素敵な駅の景観が・・・と評判が悪いらしい)

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空港への途中、NATO本部前を通過

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TOYOTAもHONDAもSONYもRICOHも見た様な気がする。

ブリュッセルから、アムステルダム経由で帰途へ
楽しかった旅行も終わり、お疲れ様!

ビールに夢中で、お約束のお土産のベルギーチョコレートは、帰宅してから写真を撮るのを忘れて、皆差し上げてしまい手元にはレシートが残るだけ。
パリのマカロンの様に量り売りだったが、多分日本で買う半額以下なのではと思われる。

この旅では、40年も昔に読んだ犬養道子さんの「私のヨーロッパ」で知った、地続きの小さい国が混じり合わないで独自性を保っている状態を実感した。
現在はEUとなっていて、国境を意識する事は無かったが、オランダとベルギーは違う国、ベルギーとフランスも違う国、フランスとイタリアも違う国なのだ。
自国に誇りを持ち、独自性を愛している。
ベルギーはEUの通商の首都、ストラスブールはEUの政治の首都、と色々ある。
それぞれが魅力たっぷりなのだ。


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ライデン茶会(ベルギービール) [旅]

最後はブリュッセルの街、そして美味しかったベルギービールについて
気になるビールから

まず、美味しかった。
味、コク、香り、ノド越し、いずれもたっぷり味わえるものだった。
日本の夏に、スーパードライをキンキンに冷やして、冷奴や枝豆をつまみながら飲むのは美味しい。
しかし、ベルギービールはむしろマイルドで泡も特徴があり、甘味さえ感じ、飲むというよりは重く味わい食べる感じ? アルコールも8%くらいはあるようだ。
ガブガブ飲むものではない。全く違うものだった。(オランダのハイネケンはバドワイザー系の様だが)

各修道院で造られたそれぞれ特色のあるもので、ライト、ダーク、フルーツなどの種類がある。
DELIRIUMU CAFE PinkElephant というPubへ繰り出して楽しんだ。
こちらは、ビールだけ。(おつまみ類は無し)

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お食事時にも、ビールを楽しんだ。

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右はカシスだかチェリーだかのフルーツビール(これも美味しい)

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白ビールは下記の銘柄が多かった。

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爽やかなブロンズと言うこちらも美味しかった。(近所のスーパで538円で売っていたが?)

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色やにごり、泡など比べると違いが分かる。

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昨年の秋の金沢、ノドグロで美味しかった吟醸酒に目覚めたが、今年の秋はベルギービールの美味しさを味わう楽しい機会を得た。感謝!

ライデン茶会(フランドル・ブルージュ) [旅]

ブルージュへ移動した。
牧場が多い地域をバスで小1時間で到着。

この街は、旧市街が全部世界遺産になっているのだそうだ。
旧市街の城壁の内側が並木になっていて美しい。

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水路も良く管理されているが、海運で栄えたが港が埋まり船が入れなくなって衰退したと。
フランドルは北ヨーロッパのハンザ同盟のメンバーで、ブルージュは中世そのままの美しい街だった。

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オードリー・ヘプパーンの映画「尼僧物語」のロケ地だったそうだ。

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そして、興味深い事は、ボビン・レース!
レース学校を見学できた。
お婆さん達が、ワイワイお話しながら、手元はせっせと動かして、巧みにレースを編み上げていく。
大きなフェルトのクッション台の上で、型紙に合わせてピンを打ち、ボビンを編みながらレースを織り上げていく。

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獅子はフランドルの紋章
見事な作品!

レースのお土産を購入した。
(テーブルセンター、洗礼用のベビー靴・帽子・スタイ、蝶ブローチ、花瓶敷き)

ベネチアでもレース、ブルージュでもレースだった。

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ライデン茶会(フランドル・ゲント) [旅]

フランドル地方のゲントとブルージュへ出かけた。
オランダはプロテスタントだが、ベルギーはカソリックと言う事だった。

いずれの街も河港で、流通で栄える。
言語はフラマン語でフランス語を使うブリュッセル以南ワロンとは違う。

位置関係は下記を参照
http://www.visitflanders.jp/where_to_go/index.html

ゲントは、河港の船着き場にズラリと昔からの建築が並んでいた。

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石が少なく、レンガ主体の教会建築で入り口だけが石造り

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ここで「神秘の子羊」を見学した。

街の中を歩いている途中に、友人が「アッ帆立貝!」と見つけてくれた。
巡礼のマークがさりげなく足元に見えた。
うっかりすると見逃しそうだ。

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この印をたどって、お遍路さんの様にフランスを抜けピレネーを越えて、スペインの聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラまで巡礼するとテレビで見た事がある。

次は、ブルージュへ移動しての見学だ。


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