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秋の修学旅行 [旅]

ブログ更新をさぼっている間に、今年の秋も急に深まった。
昨年、妹と正倉院と東大寺・興福寺・法隆寺など奈良への修学旅行が楽しかったので、今年もどこかへと考えた。
大河ドラマもやっているし、行った事がないので安芸の宮島が良いかなと調べ始めた。
修学旅行だから、原爆ドームや平和記念館なども見学し、宮島へ渡り、その後頑固亭さんでお好み焼きを食べたいと思っていた。
それにしてもまともに新幹線で往復し、お宿を取ると結構な費用となる。
ジパング倶楽部だとJRは3割引だが、妹はまだ使えない。
パックツアーなら安く行けるかと探した。
往復の新幹線代より安く、広島市内のビジネスホテル込み1泊3万円台のパックツアーが見つかったのでこれにしようかと相談した。
その時、ネットの広告で17,800円ソウル2泊のパックツアーの案内があった。
思わずクリックしてみた。妹へのメールにこんなのもありますと知らせた。
ソウル行きに乗った!と返事があった。

自分がやっている事を見て、つくずく日本国内新幹線もJRも国際競争力がない、負けていると実感した。
オバサンだから、バスで広島まで行く気にはなっていないが、民営化しても今や国際線飛行機に負けている。
国内でお金を使わなくてはいけないのに、円の使いで使い出があるソウルへ出かける。
日本の産業が衰退し、高齢者ばかりの国力のない老人国になってしまう。

妹の還暦の誕生日をソウルで迎え、世界遺産の古宮で李朝のドラマの世界を垣間見た2泊3日だった。
万里の長城での遭難があった時だったので、ソウルも雨でピリッと冷え込みダウンコートを着た。
アカスリのお風呂の壁に「風の絵師」というドラマで見た申潤福の「端午日水辺嬉戯図」の複製がかかっていた。

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続く

早い夏休み [旅]

まだ、学校が夏休みに入る前に、早めの夏休みを頂いた。
お婿さんと孫と娘が那須へ連れて行ってくれた。

東京が梅雨明けし、暑くなった日に出かけた。
那須は軽井沢の様に涼しくはなかったが、温泉でゆっくりできた。

友人が「那須へ行ったら、ペニーレインというパン屋さんが美味しい」と教えてくれた。
オシャレなBEATLESっぽい?ベーカリーだった。

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イングリッシュブレックファストが見当たらなくて、ハンバーガーセットやサンドイッチを食べた。

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ギネスを頼んだら、GUINNESSとマカダミアナッツとリキュールがセットになって出て来た。
パブの雰囲気を期待したが、もっとソフィスティケートされたお店の様だ。

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1日お暇を頂き、一人でロープウェイ利用で茶臼岳へ登って来た。
正味2時間もかからない歩きだった。
那須は殺生石があるくらいの、植生が貧しく風の強い山だった。

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保育園の生徒さん達も来ていた。

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帰京したら東京も涼しくなっていた。

それにしても、原発は動かさなくては済まないのだろうか?
我慢だけはできないが、誇りを持つ事で我慢が崇高な行為に変わり得る。
広島+長崎と福島という二つの経験をした日本人の誇りにかけて、原発なしで我慢をしてみようではないか!

その間に、将来のエネルギーの方向を徹底的に調べてほしい。
私達も意志を持って決めよう!
しっかりした資料がなければ、誰も判断はできない。

自分の子供に我慢する事をしつけられないで結果、子供には辛い目に合わせてしまったが、自分を含む国民も甘やかしてほしくないと思う。

早い夏休みにふと思った。



金沢の町家 [旅]

お茶会のお手伝いがあり、金沢・富山へ出かけた。
横浜市内発 東京都区内行きの切符を手に、西へ向かった。

車窓は麦秋、田植えの済んだ水田とのコントラストが見事だった。
これが二毛作。

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金沢駅で湯沢経由の友人達と落ち合った。
折しも「金沢百万石祭り」で混み合い、駅ビルの不室屋カフェで「お麩とゆばのあんかけ丼」を頂く。
薬味のショウガが効いて、美味しかった。

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お茶の先生のお宅へ伺い、お庭を拝見した。
用水から水を引き込み、庭を廻して又用水に流す循環となっていた。
お庭の池に鮎の姿を見る事もあるとか。
以前、兼六園の水に「さすが百万石の土木工事」と感心したが、今回は町家にしてこの水循環に再び「百万石!」と感心した。

取水口

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お庭

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塀の外の用水

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お祭りで入場無料の兼六園

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翌日、富山でのお茶会を済ませ、湯沢経由で帰京した。
地歴はどこを訪れても楽しみが尽きない。

ソウル行(イムジン河) [旅]


娘と孫とのこの旅に秘かなミッションがあった。
10年以上前に亡夫と訪韓した時には、釜山から慶州・海印寺・扶余(白村江)・と世界遺産を巡り最後のソウルでは時間がなくて板門店へ行かれなかった。
今度こそ!と、娘と孫が明洞で遊んでいる間に、一人でイムジン河を見に出かけた。
最近はあまり日本人には人気のないオプションツアーらしくガイドとドライバー付きで参加者は私一人だけだった。

漢江沿いに下流へ高速道をドライブする。高層の住宅団地や工業団地、畑、水が張られた水田などが見られた。
ガイドさんと話しているうちに20分~30分も走ると、漢江が大きく曲がりイムジン河との合流地点へ到着した。
統一展望台が造ってあった。(他に板門店ツアー、第3トンネルツアーなどあったが、俯瞰できそうな展望台ツアーにしたのだった)
日本語のビデオを見せられ、長身のイケメン兵士と写真を撮ってあげるといわれ、韓国史の年表の前で歴史の説明を受け、李承晩以来の北への政策を聞いた。
自分の理解とほぼ重なる説明で大きな見解の相違は無く少しほっとした。
戦後、日本は朝鮮戦争の特需で景気回復が進んだと習ったが、同じ説明を若い韓国のガイドさんから受け、家の子供達や日本の若い人達は知っているかな?と思ったりした。
北の生活の様子を展示したり、そこから観察できる川向うのジオラマもあった。

やっと外に出てイムジン河を眺めた。
漢江は川幅が広く大きく湾曲し、イムジン河も川幅広く滔々と流れていた。
川向うは北朝鮮だが、緑が所々禿げた所がある様だった。
ロケット失敗で北の核実験が心配されたが、辺りは軍事的緊張感は感じられなかった。

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手前から左向うへ流れる漢江(黒矢印)へ合流するイムジン河(青)

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凍った豆満江を渡り決死で脱北する報道などで、北は寒冷で作物が乏しい先入観があったが、考えてみれば、それは厳冬期の中国東北部との国境の話だ。
ここでは川のこちら側と同じく、向こう側だって米も野菜も普通にとれるはずだ。
食料援助?飢饉で飢える?ウソでしょ!
京城-平壌線は東海道だったハズ、どこかで河を渡る幹線街道として、沿線が貧しいはずがないだろうと思われる。
おかしいよ!変だよ!キムさん!悪の枢軸国と呼ばれた国で中東では八百屋のおっさんだってメタボ体型しているが、北朝鮮でメタボは一人しかいない。


それから、イムジン河を少し遡り、捕虜交換の「自由の橋」を見学した。

”自由の橋は現在、臨津江(イムジン川)に架かる唯一の橋です。1953年、休戦協定が締結された後、戦争捕虜13000人が帰還する時、この橋を「自由万歳」と叫びながら渡ったことから「自由の橋」と呼ばれています。”-旅行社のHPより引用

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ここではイムジン河もかなり狭まっていて、「泳いで渡れそう」だ。
私は縁も所縁もない見学者だが、多くの人達の多くの祈りがたくさん結んであった。
展望台の色々な展示物より、こちらの祈りが心に伝わる。

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帰途はブツブツ考えているうちにソウル市内へ戻り、メール連絡の後、ロッテ百貨店のベビー休憩室で無事に落ち合う事ができた。
日本同様「お友達よ、仲よくね」とママが子供に「チング」と言ういつもの世界へ戻った。

ヨルダンではベドウィンがラクダや羊を追って自由に?往来しているように見えたが(但し、この国では住所の概念がイマイチ???だった)、行き来できない国境があるって事、百聞は一見に如かずだ。

ソウル行 終了


ソウル行(ショッピング 靴) [旅]

お宿の近くのオシャレな通りで、ショッピングを楽しんだ。
ドラマ「コーヒープリンス」のヒット以来、コーヒーショップが増えたそうな。
バッグ屋さん、アクセサリー屋さん、そして靴屋さん、・・・
大きめサイズも揃っており、まず娘が1足購入。
見れば可愛い子供靴、思わず財布のひもが緩んで孫に1足。
この日はこれまで。

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3日目には、南大門市場へ出かけた。
一歩入ると、雑踏の中で方向を失うが、「ブランドバッグ色々あるよ!」と日本語で声がかかる。
ん?怪しい?

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やっと込み合う子供服区画へ到着し、そこで又靴を1足、これも可愛い。
子供服も色々見て、ソックスもたくさん買い込んでいた。

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10000ウォンは約700円



子供服は女児はピンクのフリフリ、男児は青が多いらしい。
孫はグレーのパーカーを着ていて、「ナムジャ?ヨジャ?」(と聞こえました)と訊かれる。
娘は「ヨジャ」と答えていたようだ。

混雑で写真を撮るのも忘れていた。

最終日、婆も孫とオソロのお靴が欲しくなり、近所へ。
冠婚葬祭の黒靴以外はスニーカーで通しているのに、ナント!オシャレ靴を2足も買ってしまった。

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娘も1足買って、各自2足ずつの購入となった。

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楽しいショッピングだった。
さっそくオシャレ靴で自由が丘へお出かけした。





ソウル行(食) [旅]

お宿は2人部屋で1泊朝食付き(コーヒー・パン・生野菜・卵料理)6000円(ソウルナビ)だった。
直接予約したが、ウォン送金がうまく出来ずに結局ソウルナビ経由の円払いとなった。

お宿から徒歩5分くらいの「黄生家」カルグクスが美味しい。奥の塀は景福宮
http://www.konest.com/contents/gourmet_mise_detail.html?id=1639

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キムチも水キムチも他のお料理も塩味が薄く、旨味があった。
CAS/hiteの500mlビールはどこでも4000ウォン(約280円)

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孫はどこのお店でもご飯一膳をぺろりと平らげた。(頼むとすぐに白いご飯が出てくる所への旅は安心できる)
最後はカルグクスのスープご飯にして、美味しく食べていた。

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蒸し餃子も美味しかった。
カルグクス8000ウォン(約560円)


仁寺洞(インサドン)サムジキル地階の「古宮」全州ビビンバが美味しい。
www.gogung.com
http://www.seoulnavi.com/food/665/

写真を撮り忘れたのでお店のHPの画像を拝借した
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ここで今は日本では食べられないユッケも載っていた。22000ウォン(約1540円)

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おかずも美味しく、海鮮チヂミ(ヘムルパジョン)も美味しかった。
やはりお加減は薄めで旨味があった。
孫にデザートのサービスもあった。


南大門市場で食べたキンパとサムゲタン、おかゆもあった。

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お宿の前の冷麺屋さんのソルロンタン

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いずれも、安くて美味しく大満足!
孫がいるので辛くない肉系スープとなったが、次は辛味のある海鮮系を食したいものだ。

お土産に買った牡蠣の塩辛はしょっぱくて辛くて、美味しいチゲスープができる。
市場やロッテスーパーの赤い売り場だ。

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寒い時期はお魚も美味しく、きっと良いだろう!!!

ソウル行 [旅]

先週、娘が引率してくれて、孫と娘と一緒にソウルへ出かけた。
世界遺産には目もくれず、街歩きとショッピングの滞在となった。

ホームの老母は、「転勤でもないのに、さらわれるから危ないよ!」と心配していた。
行きに1日、帰りに1日のゆっくりした日程で、お宿は古民家のオンドル部屋の民宿を取った。

ソウルナビ参照
http://www.seoulnavi.com/hotel/531/

羽田空港で、娘が目ざとく女性達の人だかりに「誰かの入り待ち?」と。
聞けば SUPER JUNIOR という韓流グループだそうな。
テレビで見る様な景色に感心した。

孫は優先搭乗の機内では半分眠ってくれた。
無事、雨の金浦空港へ到着しソウル市内のお宿へタクシーで向かう。

お部屋は、少しオンドルで暖めてあった。

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さて、夕食がてら近所を散策。
二つの宮の間のエリアで、辺りは、学校・図書館・ギャラリーが多く隣りの大きな敷地ではアート関係の建物が建築中だった。

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続く

アラカン修学旅行(法隆寺) [旅]

孫は来て嬉し、帰って嬉しで間が空いたが、続きとなる。

法隆寺へ移動した。

参道を歩いていると正午の鐘の音が聞こえて来た。

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柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
正岡子規が法隆寺を訪れたのも、ちょうど同じ頃だったのではと思わせる時期だった。

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これは奈良市内二月堂下の柿だが



50年近く昔の「日の出号」で行った修学旅行の時と同じエンタシスの柱の回廊も変わらない

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藤の木古墳に心惹かれながら、宝物殿、夢殿、中宮寺を廻って帰途についた。



京都駅が新しくなってから初めてなので京都駅で一休みした。

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亡夫が内装を担当したレストランを外から眺め、「美々卯」でニシンそばを食べた。
外のエスカレーターで野外ステージの様にずっとずっと降りて、新幹線で帰宅した。

この歳になってから、再訪も良いものだ。


変わってゆくモノ、変わらないモノ、何も知らなかった自分を思い出す今の自分。
少しは考えるきっかけになったようだ。歴史ある文化を大切にしたい。
日本人の自覚と誇りを少し意識できるようになってきたかな?


アラカン修学旅行(興福寺) [旅]

朝一番で、興福寺へ行った。
金堂の再建中だった。

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国宝館で、このお寺が藤原氏のプライベートなものだった事を知った。
国立の東大寺の傍に、これだけの私有寺院が存在していた。

たくさんの国宝があった。
大きな仏様があり、しわの深い高僧たちの像があり、レリーフがあり、衣のペイズリー模様が見える像などがあり・・・最後に趣を異にする「乾漆八部衆立像」が現れた。
橘夫人の好みの八体の「いにしえのイケメン」達、若い青年のお顔が清々しい。
初めて、阿修羅像に対面した。
いずれも身長160cm以下だが、当時のカッコイイ体型だと思われる。

妹曰く「癒される」。



古代史が何だか身近に感じられて来た。
大陸との関係、朝鮮との関係(慶州の博物館で見た新羅系の文物や扶余の白村江の百済系の文物)と日本の確立、朝廷と藤原氏など、司馬遼太郎さんにこの時代の「国盗り物語」を是非書いておいて欲しかった。

アラカン修学旅行(二月堂) [旅]

JR東海の「いま、ふたたびの奈良へ」のコマーシャルを見て以来、一度訪れたいと思っていた二月堂へ行った。

2006年 春 東大寺編




ボロディンの「韃靼人の踊り」だが、
これは2002年の上海旅行の時に蘇州まで鉄道で行きたいと我ままを言って出かけた朝の上海駅で
(そこは出稼ぎの人達があふれていたし、1等と2等では待合室から違っていた)
見かけた成都行きの寝台車
(当時は24時間以上かかると聞いた気が…)
を前に、いつか成都へ行こうね、揚子江の上流へ向かって行こうねと約束した時から、西域を感じさせる「韃靼人の踊り」がこの上海旅行のテーマソングになったのだった。
それは、ヨルダンで砂漠から東を眺めここから上海まで海の魚を食べる人がいないねと言った裏返しなのだった。

そして、「いまふたたびの奈良へ」では、「Again」という素敵な詩になっていた。
まだ寒い最後の春に、しみじみと聞いた。
その後、聞く度に益々心に沁みる詩なのだ。

大仏殿を見た後で、お堂は思っていたよりも小さかった。

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提灯の気色など長谷寺に似ている気がしてならない。
宗派は違うはずだが、同時代で斜面の建築と言う事で階段の回廊なども似ている気がする。

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大仏殿を望む

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舞台から階段

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修行僧が現れそうな、1300年ずっと活動中のお堂だった。
思わず合掌!


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